「虹の松原」 ・「 マリンセンター おさかな村」さんの紹介です。 2015年8月28日(金)から30日(日)まで、相方と2人で2泊3日のツアー旅行で九州に行きました。前回の「 羽田空港から有明佐賀空港 九州旅行-1 (東京都・佐賀県)」からの続きとなります。 

今回のツアーの最初の訪問場所「虹の松原」に到着です。

 

 

100万本あると言われている松原の中を通り、唐津湾へ出ました。

 

訪れた日は雨の予報もあり、雲の多い1日でしたのであまり鮮明な写真を撮る事は出来ませんでしたが、幸いにも傘のお世話にはならずにすみました。

 

唐津城も眺める事ができます。

 

虹の松原を後にして、「マリンセンター おさかな村」さんで夕食を頂きました。

 

2階が食事処となっています。私たちはツアーで訪れましたので、決まったコース料理でしたが、個人で訪れれば色々なメニューが楽しめそうです。

 

楽しみな夕食です。

 

夕食のメインはイカと佐賀牛です。

 

佐賀牛はその場で焼きながら頂く事が出来ました。

 

イカシュウマイも美味しかったです。

 

イカのゲソとエンペラは天ぷらにしてもらえました。

 

1階は土産物と鮮魚コーナーとなっています。

 

見た目では大きさの違いしか分かりませんが、値段にかなりの差があります。味も違うのでしょうか?

 

イカと佐賀牛を中心の夕食を頂き、宿泊先のホテルに向かいました。

私事で恐縮ですが、私の家は、明治生まれの祖父以来東京在住となりますが、分かる範囲で先祖をたどると、約400年前(江戸時代初期)の唐津にたどり着きます。
その先祖は唐津藩の初代の寺沢志摩守広高、2代目の寺沢兵庫守堅高の家臣(下級武士)だったのですが、2代目の寺沢兵庫守堅高の時代に島原の乱(1637年)が勃発し、 乱の終結後、寺沢兵庫守堅高は失政の責を問われ、正保4年(1647年)に江戸の海禅寺で自害しました。また、 嗣子はなかったため寺沢家は断絶し、唐津藩は改易となり、私の先祖は浪人となりました。
その後、1649年に大久保忠朝が唐津藩主となり、幸いにも私の先祖は大久保家の家臣として仕官することができました。大久保忠朝は下総国佐倉藩主を経て相模小田原藩主となり、私の先祖は大久保家の家臣として幕末まで小田原に住んでいました。
そのようなご縁もあり、唐津は私の心のふるさととして、親しみのある好きな場所のひとつです。
ちょうど1年前の2014年の8月にも唐津を訪れており、今回で4回目の唐津への訪問となります。
先に紹介させた頂いた「虹の松原」は唐津藩の初代の寺沢志摩守広高が防風林として造成したとの事で、約400年前の私の先祖も同じ「虹の松原」を眺めていたと思うと感慨深いものがあります。

今回の九州旅行は、何回かに渡り紹介させて頂きますので、今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。