「稚内公園」、「宗谷岬」(北海道 稚内市)、「稚内空港から羽田空港」等の紹介です。本年(’22年)6月に「ツアー旅行」を利用して「利尻島・礼文島・稚内(北海道)」に3泊4日で相方と2人で訪れました。
前回の「 「稚内副港市場」・「北門神社」('22年6月 利尻島・礼文島・稚内旅行-18) 」からの続きとなり旅行最終日4日目の紹介となります。
神職が常駐する神社としては日本最北の「北門神社」を後にして「稚内公園」に訪れました。
「稚内公園」に到着です。「氷雪の門(ひょうせつのもん)」が見られました。これは、かつて日本の領土であった「樺太(サハリン)」で亡くなった日本人のための慰霊碑とのことです。



「九人の乙女の像」も見られました。 1945年8月20日、「樺太 真岡」へのソ連軍侵攻に際し、「真岡郵便電信局」にて連絡業務のため残留していた電話交換手の女性9名が自らの命を絶ったことを顕彰するための碑となります。



1968年に昭和天皇・香淳皇后が「稚内市」を行幸啓された際に、「稚内公園」にもご訪問され、後日、その時の感銘を和歌に託され、その「御製、御歌」が刻まれた「行幸啓記念碑」も見られました。

 



南極での物資輸送にイヌぞりを使用するため、樺太犬たちはここ「稚内公園」で訓練を受けていたそうです。その功績を称えた記念碑となります。写真には無いですが、南極で亡くなったイヌたちを慰める供養塔も隣り合って建立されていました。



「稚内公園」からは「稚内港」が一望出来ました。右には「利尻島」あるいは「礼文島」から「稚内港」に到着するフェリーが見られました。
そして正面には先日も紹介させて頂いた「稚内港北防波堤ドーム」も一望出来ました。



「稚内公園」を後にして、上述の「稚内港北防波堤ドーム」を車窓から見学しました。先日も紹介させて頂いた内容と同じになってしまいますが、「北海道遺産」にも指定されている1936年に完成した「防波堤」となります。
「稚内駅」からドームの手前まで国鉄の線路を延長し「稚内桟橋駅」が開設され乗客はドーム内を歩いて桟橋に待つ「樺太」に向かう連絡船への乗り換え通路として作られた物となります。戦後、連絡船は無くなりましたが、「防波堤」としての役目は今も担っている事になります。
CMやテレビロケでも利用されている場所となりますので、ご存じの方もいらっしゃるかと思います。



以前は「稚内駅」のある「宗谷本線」で活躍した国鉄蒸気機関車「C55形49号機」が静態保存されていたそうですが、1996年10月に塩害腐食のため解体処分され、現在では動輪一対のみが残っている事になります。



「稚内港北防波堤ドーム」を後にして、「宗谷岬(そうやみさき)」へ訪れました。 北方領土を除けば日本最北端の場所となります。(宗谷岬の北に浮かぶ「弁天島」が厳密に言うと「最北端」になるそうですが、無人島で通常、訪れる事は出来ないそうです。)



「日本最北端の地の碑」となります。



訪れたのは6月となりますが、気温は16度位でした。

 

この辺りでは「日本最北端のXX」が見られました。この自動販売機もその1つとなります。



全ての観光を終え「稚内空港」に向かいました。 この日は多少、雲も多かったのですが、「稚内空港」に向かう車窓から「利尻山(利尻富士)」が海上に見られました。



「稚内空港」に到着です。初めて利用する空港となります。私たちが利用したとき(6月)は「羽田」直行便は1日2便でしたが、季節によっては1便となるようです。直行便なので人気があるようで、そこそこ混んでいましたが、一番後ろの3人掛けの席を2人で利用出来たので楽でした。



  離陸してまもなく雲の中に入ってしまいましたが、雲の上に見納めと狎る「利尻山(利尻富士)」が見られました。



その後は雲の中の飛行となりました。飲み物は「稚内空港」で購入した「ハイボール香る夜」と言う「北海道限定」の「ハイボール」となります。

 

ちょうど「ニッカウヰスキー」の蒸留所がある「余市」の近くを飛行していました。

 

無事に「羽田空港」へ到着です。

 

10年以上前から相方と訪れたいと思っていた場所となりますが、「利尻島」、「礼文島」、「稚内」にそれぞれ宿泊出来るゆったりとした旅程で、天候にもそこそこ恵まれ、美しい高山植物を見られ、「ウニ」も5回食べられ非常に満足度の高い旅行となりました。

本年(’22年)6月に訪れた「利尻島・礼文島・稚内旅行記」は今回で最終回となります。 今までお付き合い頂きありがとうございました。今後もどうぞよろしくお願い申し上げます。