「杉並に路面電車が走っていた頃」の紹介です。本年7月20日から9月29日まで「杉並区郷土博物館 分室」で催されていた展示イベントとなります。
「杉並区郷土博物館」は杉並区内に2カ所あり「本館」は「東京都 杉並区 大宮」にあり、「京王井の頭線」の「永福町駅」北口より徒歩約15分となります。今回訪れた「分室」は「東京都 杉並区 天沼」にあり、「JR中央線・東京メトロ丸ノ内線」の「荻窪」駅北口から徒歩約10分の場所になります。



「新宿駅」から「荻窪駅」の区間を1963(昭和38)年まで走っていた都電「杉並線」を紹介する企画展でした。


存じませんでしたが「杉並線」を走っていた車両は線路の幅に合わせて台車を交換しながら他路線で活躍していたとのことです。


以前、別のイベントでこちらに訪れた際には「撮影禁止」の展示物が多かったですが、今回はほとんどの展示物の撮影が可能でした。



後ろの建物は「杉並区役所」です。現在の「杉並区役所」は改築されていますが、その当時の建物も記憶に残っています。
ただし、生まれて数年は「世田谷」区民だったので、都電「杉並線」が走っていた記憶はないのです。


都電「杉並線」が走っていた記憶は無いですが、都電が走っていた「青梅街道」上に線路が残ったいたことをわずかに覚えています。


都電「杉並線」が廃止されたのは1963(昭和38)年となりますが、その前年に同じ区間を走る「丸ノ内線(当時は荻窪線)」が開通して、都電「杉並線」の役目を終えたことになります。


1928(昭和3)年頃にはこのような路線の計画もあったようです。もちろん実現もしませんでしたし、今でもそのような計画はないですが。もしこのような路線が実現していれば「山手線」などの混雑も解消されていたのかもしれませんね。



そして、丸ノ内線と平行して走る「JR(当時は国鉄)中央線」は1966(昭和41)年に「東京駅」から「荻窪駅」まで高架複々線化され、踏切もなくなり輸送力も増大されたことになります。


上の写真「JR阿佐ヶ谷駅(1966(昭和41)年頃?)」とほぼ同じ場所から本年(’19年)に撮影した写真となります。
尚、上の写真は今回訪れた「杉並に路面電車が走っていた頃」で展示されていた写真となります。