かつて青函連絡船として活躍していた「摩周丸」の紹介です。2016年3月19日(土)から21日(月)の3連休を利用して、相方と2人で函館旅行に行きました。 ツアーではなく個人旅行となり、北海道新幹線の開業する直前の函館となります。
前回の「函館旅行最終日 (函館旅行-8)」からの続きとなり、最終日3日目の紹介となります。
「摩周丸」に到着です。1965(昭和40)年6月30日 青函連絡船として就航し、1988(昭和63)年3月13日の青函連絡船最後の日まで運航していた「摩周丸」は実際の乗り場であった旧函館第二岸壁に係留・保存されていて内部を見学することができます。

青函連絡船は内部に線路が敷かれていて貨物の車両も運べるようになっていました。

いまとなっては懐かしいJNR(国鉄)のロゴです。

内部を見学しました。(一般(おとな):500円(’16年3月現在))
函館市青函連絡船記念館摩周丸のホームページ

当時のままの操舵室や無線通信室を見学することができます。

当時のグリーン船室が展示室に改装されています。

当時の時刻表です。この当時(昭和57年)には大宮駅から盛岡駅まで東北新幹線が開通していましたが、それでも上野駅から函館駅へは約11時間かかっていたようです。北海道新幹線が開業した今では新函館北斗駅まで東京駅から4時間足らずで行けることになりました。

朝は雪もちらつきましたが、その後はとても良い天気になりました。

2日前に夜景を眺めた函館山でです。

そして、正面には日本経済新聞「NIKKEIプラス1」の「何でもランキング」の「観光で訪れたい坂の名所ベスト10」の1位にも選ばれた「八幡坂(はちまんざか)」です。

右手には今回の函館旅行で2泊お世話になった「ウイニングホテル」さんが見られました。

ホテルに荷物を預けてあったので、「八幡坂」辺りを散策しながらホテルに戻ることにしました。
私が青函連絡船を利用したのは1往復だけで、今から31年前の1985(昭和60)年となり、それが北海道に初めて訪れた時となります。 青函連絡船を下りて初めて北海道へ上陸した時のことは今でも良く覚えています。

時代は変わり、青函トンネルの開通そして、ついに新幹線で北海道まで来ることが出来るようになりました。

「摩周丸」は青森に保存されている「八甲田丸」と共に、2011(平成23)年に機械遺産44番に認定されているそうです。

「摩周丸」を後にして、函館駅前から市電に乗り、「八幡坂」のある末広町に向かいました。

今回の「函館旅行記」はもう1回、紹介させて頂きますので、今後とも宜しくお願い申し上げます。